無個性モブキャラ脱却記

何の特徴もないモブキャラがいろいろ挑戦してみる。

「取捨選択」は片付けることとイコールなのかもしれない。

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何かを手放さないと何も手に入らない。

欲しいもの全てを手に入れることは難しい。時間もお金も有限で、どれだけ頑張っても両手に抱えきれないものを持って運ぶことはできない。

何か新しいことを始めるなら、そのための時間を用意しなければならない。どれだけ夢中になっても、食事や睡眠などの生きるための時間を削ることはできない。誰しも平等に1日は24時間。何を優先するかの取捨選択に、その人なりの個性や考え方の違いが表れるのかもしれない。

では、わたしはどうするのか考えてみる。そうするしかないことは心のどこかで前から感じていた気がするが、なかなか実行に移せなかった。

けれど、決心した。わたしは、小説のためにマンガを捨てよう……!

 もちろん、使う時間の話であって、実際にマンガを捨てようというわけではない。わたしは小説もマンガも等しく愛している。

今回、手放すのは漫画本ではなく、マンガアプリだ。マンガアプリに割いている時間を小説を読む時間に充てるのだ。

 

習慣になってしまうと変えるのが難しい。

実家から持ち帰った再読待ちの積み本がちっとも片付かない。それが何故かというと、最近は本を読んでいないからだ。文庫版の小説であれば、月に10冊前後は読んでいたのに、ここ何ヶ月も1冊も読んでいない日々が続いている。数ヶ月どころか、下手したら年単位で読んでいない。

本を読むことが生きがいで、活字中毒者であるわたしがなぜ本を読まないのか。それはスマホでマンガを読んでいるからだ。通勤時間、休憩時間、入浴時間、ちょっとした空き時間、今まで読書していたこの時間が、全てマンガプリに取って代わられた。

マンガアプリは、1日に読める量が決まっていることが殆どだ。ページ数であったり、時間であったり、チケット制であったりはするが、毎日少しずつ読んでいく形となる。回復時間がきて続きが読めるようになると急いで続きを読み、その日のノルマを達成して次の回復を心待ちにする。そんな日々を過ごす内に、小説を読む時間が無くなってしまった。

今数えてみたところによると、わたしのスマホには8つものマンガアプリがインストールされていた。多っ。毎日ぜんぶ読んでいるわけではないが、削除したアプリもあったことを考えると、片っ端から手を出し過ぎという気がしないでもない。

このままでは、いつまで経っても小説を再読できず、売ることができない。つまりは、部屋が片付かない。部屋を片付けるためにも、今は小説を読むことを優先しようと思う。

そう思うに至ったのは理由があって、習慣になっているから読んでいるような気がしたからだ。楽しみというのではなく、毎日こなすノルマのような感覚でマンガアプリを起動させている気がするのだ。それは、暇つぶしでも何でもない。つぶす暇があるわけではないのだから、単なる時間の浪費だ。

 

優先順位を考えるとき。

 わたしは小説もマンガも等しく愛している。ただ、やっぱり紙が好きなのだ。一枚ずつページを捲って読み進め、ぱらぱらっと繰って前のページに戻る。そういった指先の感覚を含めて好きなのだ。部屋が片付かない!と嘆きつつも、本に掛けるお金は惜しみたくないとも思う。マンガも含めて。

だけど、新刊が出るのを心待ちにしながら買い集めているコミックと、スマホで読むマンガでは、楽しむ自分の姿勢に違いがある気がしてならない。なんだか軽いというか、刹那的だ。続きが気になったら買おうと思うものの、無料で読めるマンガの種類が多くてすぐに忘れてしまう。流し読みしているような感覚というかなんというか。

つまり、読みたいから読むというよりも、読めるから読むという感じで、マンガに対する読もうという意思があまりない気がする。受け身状態なのだ。

というわけで、単なる習慣になっているマンガ閲覧の時間を縮小することにする。完全になくすことは無理だと思うし、そんなにきっちりやる気もない。ゆるりと意識を持って楽しめる範囲でやろうと思う。

こういった感じで、部屋だけでなく自分の習慣や生活を見直すことも片付けの一種なのだろうなぁと考える。実際に、今までの習慣や考え方が散らかった部屋を作り出したわけなので、そこから改めないと根本的な解決にはならないわけだし。

必要かそうでないかを仕分けしながら片付けていくが、自分の人生においてもいろいろと取捨選択しなければならない。未来の自分を作りあげるのは自分が選んだ考え方や習慣。理想の自分に近付くためには、今のわたしが頑張らなくては。

小説読むぞー。部屋片付けるぞー。うん。